”考える”と”観察する”の違い
昨日の学びにもあったように心は”観られるもの”
つまり頭に浮かんだ感情や考えは
自分自身ではないということ
自分自身は観る存在であること
怒ったり、喜んだり、悲しんだり、
落ち込んだりしている自分を
一歩引いて観察する
観察は実況中継のようなもので、
ただただ起きている物事に対して
そのまま観て、その状況を受け止める
例えば、私が失礼だと思う態度をされて
モヤモヤした時を”考える”ではなく
”観察”にすると
「今、私は〇〇をされてモヤモヤしているな〜」
「歯も食いしばっているし、指に力が入っているな〜」と
これを”考える”にした時
「なぜ〇〇さんは私にあんな態度をとってきたんだろう。私が何かしたから?そういえば前にも同じようなことがあったなあ。今度一言言ってやろうかな。〜〜〜〜・・・・・」
みたいな感じになる
今までこのスタイルでやってきたなあ〜笑
自分自身が”考え”や”観られる側”になってしまうと
様々な感情の”考え”はあちこちに動きだし、
自分も一緒に動かないといけない
そして苦悩の渦に巻き込まれ
自分で自分を縛り付けてしまう
考えは常に変わっていくもので
それは流れる雲のように
”観られるもの”であること
そして自分はその考えの雲を、
青く広がる空のように”観る存在”であること
そして”観る存在”である私自身は変わらない
これを混同させると”苦悩”が生まれ、
なんで自分はこんな性格なんだろうかと
自分を否定することにさえ繋がることもある
切り離して考えると困難からの解放に繋がる
ほ〜お
自分で文章にしてまとめると理解が深まる〜
私は最近、何か自分の中で起きると
まず自分を観察して
受け入れてアーサナや呼吸で整えて
後からあのことについて今から10分考えよう〜
と決めてそのことだけを考える時間を作るように
意識している
個人的にはこの考えとやり方が合ってるみたい
面白いな〜ヨーガって。
きょうのまなび2 〜考えると観察する〜
