私の友人は画家をしていて、昔から彼女のアトリエに遊びに行ったり、個展を見に行ったりしてきました。
青春時代、6年間ほぼ毎日一緒に登下校し、たくさん話をしてきたので、彼女のことはなんでも知っている気でいました。
でも、初めて彼女のアートを見たとき、その概念は覆されました。
「一体、彼女の頭の中はどうなっているんだろう?」と不思議でたまらなくなり、私の知らないところがまだまだたくさんあって、その一部を彼女のアートを通して知ることができるのが、とてもおもしろく感じました。
ただ、今日は今までの中で初めて、心にズキズキと刺さるような、「あ、これは今の私が見るべきだった」と感じる彼女のアートと出会いました。
それを彼女に伝えると、まさかのひと言。
「その絵、りこを想像しながら描いた」と。
その嬉しさと、今このタイミングでその絵を見ることができたことに、大きな意味を感じました。
「今日ここに来れて本当によかった」と心から思いました。
今、産後9ヶ月。
精神的にも肉体的にも疲労を感じていて、自分では「大丈夫」と思っていたけれど、夫と喧嘩をして、自分を客観的に見たときに「キャパオーバー手前だったのかもしれない」と気づかされました。
今日は午後から家族で出かける予定でしたが、喧嘩をしたことで急遽、夫と子供だけで出かけることに。
急に予定が変わり、久しぶりの揉め事で気分も悪く、「2人ともいないなら、いっそのこと京都まで出てしまおう」と思って準備を始めました。
ひっさしぶりに身軽な格好をして、
「こんなカバンもう使わないのでは?」と捨てようか迷っていた小さなカバンだけを持って電車に乗り込みました。
画家の彼女に会いたくなり連絡をしてみると、
今日は京都のアトリエを開放していて、一般の方も気軽に入れる日とのこと。
「これは行くしかない」と思い、まずは京都で好きなものを食べ、その後アトリエへ。
そこで一番に目に入ったのが、さきほど書いていた「私を想像して描いてくれた」というアートでした。
それは妊婦の姿をした人と、そうでなさそうな人が融合しているような、2人がひとつになっているような絵で、言語化するのは難しいのですが
産前産後の時間の使い方、睡眠の質、やりたい事を今は諦める勇気、年齢、二人目の妊娠、夫への期待、環境や住まいの変化、これからの仕事のこと、産前産後の心や体の状態など次々にでてくる不安や焦り。前向きに考えられる日もあれば、生理も重なり、頭の中が渋滞モードになる日だってある。
ほかにもいろいろ思っていることがある中で、結局、余裕がなくなると「私が、私が、私が」と“私が病”みたいになることがあります。
妊娠や出産を経験するのは私。
ホルモンバランスと戦うのも私。
つわりと戦うのも、情緒不安定になるのも私。
私、私、私。
そんな状態になりつつあるタイミングで出会った今日のアート。
妊婦の後ろにいる人は、私には夫に見えました。
妊娠しているのは私ひとりのはずなのに、2人で妊娠しているような、後ろから支えてくれているような、愛に包まれている優しい姿に見えたのです。
「妊娠していたのは私だけど、妊娠できない彼は彼なりにサポートしてくれていて、二人で親になったんだ。今も二人で親になり、お互いがお互いの役割を果たしながら協力し合っているんだ」
そんなことを、絵を通して改めて感じました。
でも、余裕がなくなると「私だけが頑張っている」と、なぜか錯覚してしまう瞬間がある。
彼女のアートを見て、支えてくれた良い思い出や、今も二人でできることをしていることを思い出し、すごく客観的で冷静な自分に戻れた気がしました。
彼女はそのアートの題名を『月』にしたとのことで、全体的に丸みを帯びていて、背景は暗め。
女性と月の関係や、月のように丸くも見えてくるそのアートに、とても魅力を感じたし、深く心を動かされました。
もう少しでイタリアに行ってしまう予定のアートだということで、今日、実物を見られて本当によかったと心の底から思いました。
ちょうど彼女がアトリエから席を外していたので、戻ってきたタイミングで感じたことをそのまま話し、
その後はアトリエをシェアされているもう一人の画家さんと3人で、いろいろな話をしながらコーヒーを飲みました。
ここ最近飲んだ飲み物の中で、一番おいしく感じたコーヒーでした。
2人にとても癒されて、帰り道は心がすごく身軽になっているのを感じました。
アートから得られるパワーや、友人へのリスペクトを改めて感じながらの帰宅時間でした。
ここ最近の自分の言動や考えを見直すきっかけにもなり、忘れかけていた大切なことを思い出す、温かい時間になりました。
喧嘩をして予定が狂ったのも、このアートに出会うためだったのかなと思うほど。
本当に、素敵な時間でした。
