このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第2章7節
『快感を伴って引きつけられるのが愛着である』
解説
ヨーガ・スートラ第2章7節では、五つの苦悩の一つである執着(ラーガ)について説明されています。執着とは、快い経験や感覚に対して「また欲しい」「手放したくない」と強く求める心の働きのことです。
人は一度快を味わうと、その感覚を記憶し、再び得ようとします。この反応自体は自然なものですが、そこに強い執着が生まれると、心は満たされにくくなります。なぜなら、快は常に変化し、同じ形で繰り返されることはないからです。
執着が強まるほど、私たちは快を失うことを恐れ、思い通りにならない状況に苦しみやすくなります。得られたときの喜びよりも、失うことへの不安のほうが大きくなり、心は安定を失っていきます。パタンジャリは、この執着が自我意識や無智を土台として生じ、苦悩を長引かせる原因になると説いています。
第2章7節は、苦しみの原因が快そのものではなく、それに対する「とらわれ」にあることを示しています。ヨーガの実践は、快を否定したり遠ざけたりするものではありません。快を体験しながらも、そこにしがみつかず、移ろうものとして見つめられる心を育てていく道です。
この節は、心が何に引き寄せられ、どこで自由を失っているのかに気づくことが、苦悩を和らげる大切な一歩であることを教えてくれています。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第2章7節では、苦悩の原因の一つとして「執着(ラーガ)」が挙げられています。執着とは、快い体験や心地よい感覚に対して、「また欲しい」「失いたくない」と心が強く引き寄せられる状態のことです。
現代の生活では、たとえば楽しかった出来事やうまくいった経験を思い返し、「あのときの感覚をもう一度味わいたい」と感じることがあります。その気持ち自体は自然なものですが、それが強くなると、今の状況に満足できなくなったり、同じ状態が続かないことに不安を覚えたりします。過去の快と現在を比べることで、心は次第に落ち着きを失っていきます。
また、人や環境に対して「こうあってほしい」「この関係は変わらないでほしい」と願い続けることも、執着の表れです。思い通りになっている間は安心できますが、少しでも変化が起こると、不安や苛立ちが生まれやすくなります。快を守ろうとする気持ちが強いほど、心は緊張しやすくなります。
第2章7節が伝えているのは、苦しみの原因が快そのものではなく、それに対する「握りしめ方」にあるということです。ヨーガの実践は、快を否定することではなく、快が移ろうものであると理解し、必要以上につかまえない心のあり方を育てていきます。
執着に気づき、少し距離を取れるようになると、心は軽くなり、今の状況をより静かに味わえるようになります。この節は、快を追い続けることで生まれる苦悩から自由になるための大切な視点を示しているといえるでしょう。
