ヨーガ・スートラ第2章9節|死への恐れと生命への執着

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第2章9節

『賢者でさえ服従させる生きたいという強い思いが生命欲である』

解説

ヨーガ・スートラ第2章9節では、五つの苦悩の最後として 「生への執着・死への恐れ(アビニヴェーシャ)」 について説かれています。パタンジャリは、この恐れは賢い人にも無意識のうちに存在する、非常に根深い心の働きであると述べています。

ここで示されているのは、単に「死が怖い」という感情だけではありません。命を守りたい、今の自分の存在を失いたくない、変化や終わりを避けたいという根源的な執着そのものが、このアビニヴェーシャです。これは理屈や知識で簡単に消えるものではなく、生き物としての本能のように深く心に染みついているとされています。

人は誰でも、慣れ親しんだ状況や自分の役割、関係性などが変わることに不安を感じます。それはすべて、この「失うことへの恐れ」とつながっています。たとえ頭では「変化は自然なこと」と理解していても、心の奥では変化や終わりを拒もうとする働きが起こり続けるのです。

第2章9節は、この恐れを否定したり恥じたりする必要はないと静かに示しています。アビニヴェーシャは誰にでも備わっている自然な性質であり、まずはその存在に気づくことが大切だということです。恐れに気づき、心の反応として観察できるようになることで、私たちは少しずつその支配から自由になっていきます。

ヨーガの道は、この根深い執着を力で断ち切ろうとするのではなく、理解と気づきを通して和らげていくプロセスです。第2章9節は、人間の最も根源的な苦悩の一つに光を当て、そこから解放へ向かうための静かな入口を示している節だといえるでしょう。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第2章9節では、五つの苦悩の中でも最も根深いものとして「生への執着・死への恐れ(アビニヴェーシャ)」が挙げられています。これは特別な人だけにある感情ではなく、賢い人にも、経験豊かな人にも無意識に働いている心の性質だと説かれています。

現代の生活に置き換えて考えると、この恐れは必ずしも「死」という直接的なものだけを意味しません。たとえば、今の仕事や立場を失うことへの不安、慣れた環境が変わることへの抵抗感、人間関係が終わってしまうかもしれないという心配なども、このアビニヴェーシャの表れです。「今ある自分」が壊れてしまうことへの怖れと言い換えることもできます。

私たちは変化が起こるたびに、どこかで身構えたり、不安になったりします。新しい挑戦を前にして足がすくんだり、思い通りにいかない状況を過剰に恐れたりするのも、「失いたくない」「守りたい」という本能的な働きから生まれるものです。それは弱さではなく、人間として自然な反応なのです。

第2章9節が伝えているのは、この恐れを無理に消そうとするのではなく、「自分の中にそうした反応がある」とまず気づくことの大切さです。恐れに振り回されているとき、私たちは視野が狭くなり、心が硬くなります。しかし、その働きに気づき、少し距離を取れるようになるだけで、心は驚くほど落ち着きを取り戻します。

ヨーガの実践は、この根深い執着や恐れと静かに向き合い、少しずつ和らげていく道です。第2章9節は、「恐れはあって当たり前のもの」だと認めた上で、その支配から自由になっていくための第一歩を示してくれている節だといえるでしょう。

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