このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第2章15節
『事象の転変と不安と残存印象とからは、苦悩が生じ、同じく三種の徳性と心理作用双方の働きが相反するゆえに識別の智慧を得た者にとっては、この世のすべては苦しみなのである』
解説
ヨーガ・スートラ第2章15節では、「変化するものはすべて苦を内包している」と説かれています。一見すると、喜びや快楽に満ちた経験も、実は苦の種を含んでいるという、少し厳しく感じられる視点です。しかしここで語られている「苦」とは、常に痛みや不幸を意味するものではなく、不安定さや満たされなさを含んだ性質のことを指しています。
私たちが快と感じる経験は、条件がそろったときに一時的に現れ、やがて必ず変化していきます。その変化の中には、失われることへの不安、同じものを再び求める執着、そして思い通りにならない現実への落胆が含まれます。快楽そのものが問題なのではなく、「変わらないものとして期待してしまう心の働き」が、やがて苦へと転じていくのです。
また、ヨーガでは自然界が三つの性質(グナ)によって常に動き続けていると捉えます。この変化の流れの中にある限り、どんな経験も安定し続けることはありません。快であっても苦であっても、すべては移ろいゆくものであり、その無常性に気づかず同一視してしまうことが、心の揺れを生み出します。
第2章15節が示しているのは、人生を悲観するための教えではありません。むしろ、変化するものに過度な期待を寄せず、変わらないものを見極めていく智慧の重要性を伝えています。経験の中にある不安定さを理解することで、私たちは外側の出来事に振り回されにくくなり、より深い静けさへと向かう土台を築いていくことができるのです。
この節は、苦を避けるために世界から離れるのではなく、世界の性質を正しく理解することこそが自由への一歩であると、静かに教えているように感じられます。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第2章15節では、「変化するものは、すべて苦を含んでいる」と説かれています。これは「人生は苦しいものだ」と悲観する教えではなく、一見すると快に見えるものの中にも、不安定さや揺らぎが含まれているという現実を見つめる視点です。
現代の生活で考えると、楽しみにしていた出来事がわかりやすい例かもしれません。目標を達成した瞬間や、欲しかったものを手に入れたとき、私たちは確かに喜びを感じます。しかしその喜びは長くは続かず、「次は何を目指そうか」「これを失ったらどうしよう」という思いが、いつの間にか心に入り込んできます。快の裏側には、終わりや変化への不安が静かに潜んでいるのです。
人間関係や評価も同じです。うまくいっているときは安心しますが、関係が変わるかもしれないという不安や、同じ状態を保とうとする緊張が生まれます。快であればあるほど、「変わってほしくない」という思いが強まり、それが心の負担になっていくことも少なくありません。ここで語られている「苦」とは、こうした満たされなさや不安定さを含んだ状態を指しています。
第2章15節が伝えているのは、快そのものを否定することではありません。問題なのは、変化するものに「ずっと続くはずだ」という期待を重ねてしまう心のあり方です。すべては移ろいゆくという性質を理解していれば、喜びを味わいながらも執着しすぎず、変化に対して必要以上に心を揺らさずにいられます。
この節は、日常を否定する教えではなく、人生の現実を冷静に見つめるための智慧を示しています。変わるものに過度にしがみつかず、変わらないものを見極めていくことで、私たちは快と苦の波に振り回されにくくなり、より静かな心の在り方へと近づいていく。そのことを第2章15節は教えているように感じます。
