ヨーガ・スートラ第2章16節|避けることのできる苦

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第2章15節

『いまだ生じて来ぬ苦悩は除去しうる』

解説

ヨーガ・スートラ第2章16節では、「これから生じる苦は避けることができる」と説かれています。前の節までで、変化するものの中には苦が内在していることが示されていましたが、この節では、すべての苦が避けられないわけではないという重要な視点が提示されています。

パタンジャリがここで指しているのは、すでに起きてしまった出来事や、過去の結果として現れている苦ではなく、これから生じる可能性のある苦です。原因に気づき、適切に対処することで、未来の苦は未然に防ぐことができると考えられています。

苦の原因は、外側の状況そのものではなく、無智による誤った認識や同一視にあります。私たちは、変化するものを自分自身と重ね合わせたり、永続するものとして期待したりすることで、心に揺れを生み出します。こうした心の働きに気づかないまま行動を重ねると、苦の連鎖が続いていきます。

第2章16節は、ヨーガの実践が運命論ではなく、明確に「選択と理解」に基づいた道であることを示しています。心の仕組みを理解し、誤った認識から離れていくことで、これから生まれる苦は和らげ、あるいは避けることができる。その可能性を示している節だといえるでしょう。

この節は、人生から苦を完全に排除するという理想論ではなく、苦を生み出す原因を見極め、未来をより自由な方向へと導いていくための現実的な智慧を伝えています。ヨーガとは、起きてしまった苦に嘆くことではなく、苦が生まれる前に心を整えていく実践であることを、静かに教えているように感じられます。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第2章16節では、「これから生じる苦は避けることができる」と説かれています。ここで語られているのは、すでに起きてしまった出来事の苦ではなく、これから先に生まれる可能性のある苦についてです。パタンジャリは、原因に気づき、心の向き合い方を整えることで、未来の苦は未然に防げると示しています。

現代の生活で考えると、「後になって苦しくなるとわかっている流れに、気づかず乗ってしまうこと」が近いかもしれません。たとえば、無理をして頑張り続けているとき、「このままでは疲れ切ってしまう」と薄々感じていながら、そのサインを見ないふりをしてしまうことがあります。結果として、心身のバランスを崩し、後で大きな苦を抱えることになる。このとき、苦そのものよりも、「最初の違和感に気づかなかったこと」が原因だったと振り返ることがあるのではないでしょうか。

人間関係でも同じことが起こります。相手に過度な期待を抱き、「こうしてくれるはず」「わかってくれるはず」と思い続けていると、いずれ失望や怒りが生まれます。しかし、早い段階で自分の期待に気づき、距離の取り方を見直していれば、その苦は大きくならずに済んだかもしれません。第2章16節が示す「避けられる苦」とは、こうした気づきと選択によって防げる苦を指しています。

この節が伝えているのは、人生から苦を完全に消すことではありません。痛みや不快な出来事が起こること自体は避けられなくても、そこに必要以上の苦悩を重ねるかどうかは、心の在り方によって変えられるという視点です。誤った同一視や思い込みに気づき、方向を修正することで、未来の苦は小さくなっていきます。

第2章16節は、ヨーガが「起きた後に耐える教え」ではなく、「起きる前に気づき、選び直す教え」であることを示しています。今の心の状態を丁寧に見つめることが、これからの自分を楽にする。その現実的な智慧が、この節には込められているように感じます。

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