ヨーガ・スートラ第2章22節|経験のために存在する世界

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第2章22節

『すでに目的が遂げられた者にとって被観照者は消滅するが、他の者達との共有のものであるゆえに存在し続ける』

解説

ヨーガ・スートラ第2章22節では、「観られるもの」は、ある人にとってその役目を終えても、他の人にとっては依然として存在し続けると説かれています。

ここで語られているのは、世界そのものが消えるかどうかという話ではなく、「その人にとっての世界の意味」が変わるということです。観る者である意識が、本来の自分を正しく見極めたとき、観られるものに対する誤った同一視は解かれます。その結果、世界や心の働きは、もはやその人を縛るものではなくなります。

しかし、同じ世界は他の人々にとっては引き続き現実として存在し、経験の場として機能し続けます。つまり、解放とは外界が消えることではなく、「見方が変わること」によって、世界との関係性が変わることを意味しています。

この節は、ヨーガが現実逃避や世界の否定を目指す道ではないことを明確にしています。世界はそのままに存在し続けますが、観る者が自らの本質を理解したとき、世界はもはや束縛の原因とはならなくなります。

第2章22節は、解放とは何かを静かに示しています。それは外の状況を消し去ることではなく、内側の理解が変わることによって、同じ世界の中にあっても自由でいられる状態を指しているのです。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第2章22節では、「観られるもの」は、その役目を終えた人にとっては束縛の原因ではなくなっても、他の人にとっては引き続き存在し続けると説かれています。ここで言われているのは、世界そのものが消えるということではなく、「その人にとっての見え方や意味が変わる」ということです。

現代の生活で考えるなら、同じ出来事でも受け取り方が人によってまったく違う、という場面が近いかもしれません。たとえば、仕事で強いプレッシャーを感じる状況でも、「これが自分の価値を決める」と思っている人にとっては大きな苦になりますが、「経験のひとつ」と受け止められる人にとっては、同じ状況でも心の重さは違ってきます。出来事そのものは同じでも、そこに重ねる意味づけが変わることで、苦の度合いが変わってくるのです。

また、人間関係でも同じことが起こります。相手の言動に強く振り回されていた人が、自分の期待や思い込みに気づいたとき、同じ相手の言葉でも以前ほど傷つかなくなることがあります。相手や状況が消えたわけではありませんが、「それに縛られる自分の見方」が変わったことで、関係性の質が変わるのです。

第2章22節が伝えているのは、解放とは外の世界がなくなることではなく、世界との関わり方が変わることだという視点です。同じ現実の中に生きていても、それを自分そのものと重ねなくなることで、心は以前より自由になります。

この節は、世界を否定する教えではなく、「見方が変わることで、世界は束縛ではなくなる」という理解を示しています。外側を消そうとするのではなく、内側の理解が深まることで、同じ世界の中でも自由に生きられるようになる。その可能性を静かに伝えている節だと感じられます。

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