ヨーガ・スートラ第2章11節|瞑想によって苦悩を超えていく

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第2章11節

『それら諸煩悩の活動は、静慮によって除かねばならない』

解説

ヨーガ・スートラ第2章11節では、表面に強く現れている苦悩をどのように鎮めていくか、その具体的な方法が示されています。パタンジャリは、「心の働きとして現れている粗大な苦悩は、瞑想によって静められる」と説いています。

前の10節では、心の奥に潜んでいる微細な苦悩は、その根源に立ち返ることで和らげられると語られていました。これに対して11節では、怒りや不安、執着といった、はっきりと感じられる感情の動きに対しては、瞑想という実践が有効であることが示されています。

強い感情が湧き上がっているとき、私たちはその感情に巻き込まれやすくなります。しかし瞑想によって心を静かに観察する姿勢を育てていくと、感情そのものを客観的に見つめられるようになります。そうすると、苦悩は次第に力を弱め、心の中で穏やかに鎮まっていくと考えられています。

ここでいう瞑想とは、単に心を空っぽにすることではなく、心の動きを丁寧に見つめ、意識を落ち着かせていく訓練です。苦悩を無理に消そうとするのではなく、その働きを理解し、静かに見守ることで自然に和らげていく道が示されています。

第2章11節は、ヨーガの実践が感情を抑え込むためのものではなく、心の反応に気づき、それに振り回されない在り方を育てるものであることを明らかにしています。瞑想という実践を通して、私たちは苦悩から少しずつ距離を取り、本来の落ち着きを取り戻していくことができる。そのことを教えてくれている節だといえるでしょう。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第2章11節では、怒りや不安、執着など、はっきりと表に現れている苦悩は「瞑想によって静められる」と説かれています。前の節では、心の奥に潜む微細な苦悩は根源に立ち返って和らげると語られていましたが、この節では、今まさに心を揺らしている感情に対して、瞑想という実践が力になることが示されています。

現代の生活で考えると、強い感情が湧いたとき、私たちはつい反射的に反応してしまいます。言い返したくなったり、頭の中で同じ場面を何度も再生して苦しくなったり、先のことを考えて不安が膨らんだりします。その状態では、感情が「自分そのもの」のように感じられ、巻き込まれてしまいやすいものです。

第2章11節が伝えているのは、そこで無理に感情を消そうとするのではなく、瞑想によっていったん立ち止まり、心の動きを観る力を育てるということです。瞑想とは、何も考えないようにすることではなく、呼吸や一点の対象に意識を戻しながら、「今、心がこう反応している」と気づき続ける練習です。気づきが入ると、感情に飲み込まれるスピードが緩み、少し距離が生まれてきます。

たとえば、怒りが込み上げたときに、まず呼吸に意識を戻してみる。心の中で渦巻く言葉を追いかけるのではなく、「怒りがある」と静かに認めて眺める。そうしているうちに、感情は少しずつピークを過ぎ、落ち着きを取り戻しやすくなります。瞑想は、感情を抑え込むためではなく、感情に振り回されないための土台を作っていく実践なのです。

第2章11節は、苦悩を「なくす」ことを急ぐのではなく、苦悩が起きたときにどう向き合うかを整えていくことがヨーガだと教えています。瞑想によって心の動きを観る力が育つほど、感情に巻き込まれにくくなり、本来の落ち着きへと戻る道が開かれていく。そのことを示している節だといえるでしょう。

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