ヨーガ・スートラ第2章24節|無智から生まれる結合

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第2章24節

『この結びつきの原因は無智である』

解説

ヨーガ・スートラ第2章24節では、観る者と観られるものが結びついてしまう根本原因について語られています。パタンジャリは、その原因は「無智(真実を知らないこと)」であると説いています。

無智とは、単に知識がないという意味ではなく、「変わるもの」と「変わらないもの」を取り違えてしまう心の状態を指します。本来、観る者である意識は不変であり、心や身体、感情、思考は変化し続ける存在ですが、この区別が見えなくなることで、私たちは心の働きを自分自身だと錯覚してしまいます。

この錯覚によって、喜びや悲しみ、成功や失敗といった経験に強く巻き込まれ、それらが自分の本質であるかのように感じられるようになります。無智は、この誤った同一視を生み出す土台であり、苦悩の連鎖が続く原因でもあります。

第2章24節は、苦悩の根本には外側の状況ではなく、「見誤り」があることを明確にしています。世界や心の働きそのものが問題なのではなく、それを自分自身と重ねてしまう理解の誤りが、結びつきを生み、自由を失わせているのです。

この節は、解放への道が外側を変えることではなく、内側の見方を正すことにあると示しています。無智が薄れ、真実が見えてくるほど、観る者と観られるものの区別は明確になり、苦悩の原因であった結合は自然とほどけていく。その出発点を示している節だといえるでしょう。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第2章24節のテーマである「無智による結びつき」は、現代の私たちの毎日の中にもよく見られる心の働きです。

たとえば、仕事でミスをしたときに

「私はダメな人間だ」と強く落ち込んでしまうことはありませんか。

本当は“ミスという出来事”が起きただけなのに、それを「自分そのもの」と結びつけてしまう。ここに、心と自分自身を混同する状態があります。

また、誰かに言われた一言が頭から離れず、ずっと気分が落ち込んでしまうこともあります。本来その言葉は「外側で起きた出来事」ですが、心の中で繰り返し再生されるうちに、「私はこういう人間なんだ」と自分の本質のように感じてしまうのです。

ヨーガが指摘しているのは、こうした“思考や感情=自分”という思い込みこそが、苦しさを生み出しているということ。

本当の自分は、それらを経験している「観ている存在」なのに、気づかないうちに「揺れている心のほう」を自分だと思ってしまう。これが無智による結びつきです。

現代でいうなら、映画を観ている観客が、いつの間にかスクリーンの登場人物になったつもりで一喜一憂しているような状態に近いかもしれません。本当は“観ている側”なのに、“物語の中の役”と自分を重ねてしまうのです。

この節は、「出来事や感情が悪い」のではなく、「それを自分そのものだと思い込むこと」が苦しさの原因だと教えています。そしてその見間違いに気づくことが、心をほどいていく第一歩になるのです。

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