このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第2章39節
『不貪の思いが不動になるとなぜに誕生したのかを理解するようになる』
解説
第2章39節では、「アパリグラハ(不貪)」が説かれています。
アパリグラハとは、必要以上に物や情報、人との関係、立場などを“自分のもの”として抱え込まない姿勢のことです。
私たちは無意識のうちに、安心感や優越感、将来への備えとして、さまざまなものを手に入れようとします。しかし、それらを過剰に求め、失うことを恐れ始めたとき、心はかえって縛られてしまいます。持っているはずのものに、逆に支配されてしまうのです。
ヨーガでは、外側の所有を減らすことそのものよりも、「心の中の執着」を手放すことが大切だと考えます。必要なものは使い、役割は果たしながらも、そこに自分の価値や安心を過度に結びつけない。そうした軽やかな在り方が、不貪の実践です。
この姿勢が深まると、自分が何に縛られていたのか、なぜそれを求め続けていたのかが自然と見えてくるといわれます。執着が薄れるほど、心は広がり、本来の自由さを取り戻していきます。
持つことよりも、手放せること。
そこにこそ、内側の豊かさが育っていくのだと、この節は伝えています。
現代視点での解釈
第2章39節で説かれているのは、「必要以上に抱え込まない」という姿勢です。
現代の生活に置きかえてみると、とても身近なテーマかもしれません。
たとえば、クローゼットにたくさんの服があるのに「まだ足りない」と感じてしまうこと。スマートフォンの中に情報があふれているのに、さらに新しい情報を追い続けてしまうこと。あるいは、人からの評価や肩書きを失わないように必死になることも、広い意味では“抱え込み”のひとつといえるかもしれません。
最初は安心のために手に入れたものが、いつの間にか「失いたくないもの」になり、それを守るために心が忙しくなってしまう。持っているはずなのに、なぜか落ち着かない。そんな感覚を経験したことがある方も多いのではないでしょうか。
この節が伝えているのは、「何も持つな」ということではありません。
必要なものは使いながらも、それに自分の価値や安心を預けすぎないこと。
