このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第2章8節
『苦痛を伴って嫌悪を感じるのが、憎悪である』
解説
ヨーガ・スートラ第2章8節では、五つの苦悩の一つである嫌悪(ドヴェーシャ)について説かれています。嫌悪とは、不快な体験や苦しい記憶に基づいて、「避けたい」「近づきたくない」と心が反発する働きのことです。
人は過去に苦を感じた経験を記憶し、それと似た状況が現れると、無意識のうちに身構えたり拒んだりします。この反応自体は自然なものですが、嫌悪が強まると、心は常に防御的になり、安らぎを失いやすくなります。苦を避けようとするほど、心は緊張し、視野が狭くなっていくからです。
パタンジャリは、この嫌悪もまた、無智や自我意識を土台として生じると示します。不快なものを「敵」として固定的に捉えることで、心は二分化され、好き嫌いに振り回される状態が続きます。その結果、現実をそのまま受け取ることが難しくなり、苦悩が長引いてしまいます。
第2章8節は、苦しみの原因が不快な出来事そのものではなく、それに対する心の反応の仕方にあることを明らかにしています。ヨーガの実践は、不快を無理に排除したり否定したりすることではありません。不快が生じたときの心の動きを観察し、反射的な拒絶から距離を取る力を育てていく道です。
嫌悪に気づき、その働きを理解することで、心は少しずつ柔らかさを取り戻します。この節は、苦を避け続けることで生まれる苦悩から自由になるための重要な視点を示しているといえるでしょう。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第2章8節では、苦悩の原因の一つとして「嫌悪(ドヴェーシャ)」が挙げられています。嫌悪とは、不快な体験やつらかった記憶をもとに、「これは避けたい」「もう関わりたくない」と心が強く反発する働きのことです。
現代の生活では、たとえば過去にうまくいかなかった経験や、傷ついた出来事を思い出すだけで、気持ちが重くなったり、似た状況を避けたくなったりすることがあります。その場にいなくても、思い出や想像だけで心が身構えてしまうのです。こうした反応は、心が自分を守ろうとしている自然な動きでもあります。
しかし、嫌悪が強くなると、心は「避けること」に多くのエネルギーを使うようになります。不快なものに触れないように常に警戒し、先回りして拒絶するため、心は緊張した状態が続きます。その結果、今この瞬間に起きていることを、そのまま受け取る余裕が失われてしまいます。
第2章8節が伝えているのは、苦しみの原因が不快な出来事そのものではなく、それに対する心の反射的な拒絶にあるということです。ヨーガの実践は、不快な感情を無理に消そうとするのではなく、「今、嫌だと感じている心がある」と気づき、その反応を観察する力を育てていきます。
嫌悪に気づき、少し距離を取れるようになると、心は過剰に防御しなくてもよくなります。この節は、不快を避け続けることで生まれる苦悩から自由になるための、大切な視点を示しているといえるでしょう。
