ヨーガ・スートラ第1章12節|心を収める二つの方法

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第1章12節

『心素の働きの止滅は、勤修と離欲によって成し遂げられる』

解説

今回のテーマは勤修(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)。

心の働き(ヴリッティ)を静めていく方法は、アビヤーサ(繰り返し練習していくこと)とヴァイラーギャ(正しい見極め・手放すこと)が大切だと言っています。

ヨーガが目指すのは、日々の中で揺れ続ける考えや感情に飲み込まれず、本来の静かで満ち足りた自分へ戻っていくこと。
そのために欠かせないのが、“続けること” と “手放すこと” の両方です。

アビヤーサとは、呼吸法・アーサナ・瞑想などを 小さくても良いから続けていくこと。
毎日の積み重ねが心の土台を安定させ、揺れても戻ってこれる力を育てます。

一方、ヴァイラーギャは、結果への執着や、人の評価、完璧であろうとする気持ちなど、心が握りしめて離さないものをそっと手放していく姿勢。
これが育つほど、心は軽く、自由に広がっていきます。

さらにパタンジャリ(ヨーガ・スートラの著者)は、苦悩の原因となる考えに簡単に自分が奪われないためには、考えを収める力=ヨーガが必要だと説いています。

心が揺れたり、間違った理解や思い込みに引きずられそうになったとき、ヨーガを通して、自分の意志で何度でも中心へ戻る練習をする。

これこそが、アビヤーサの本質。
ただ呼吸やポーズを続けるだけではなく、揺れるたびに自分自身、今ここに戻る力を育てることが、ヨーガの実践です。

心は本来“道具”であって、自分そのものではありません。
その道具が暴走しないように、自分の中心に立って心を観察し、使いこなしていくこと。
この姿勢を育てることで、私たちは日常の小さな揺れにも大きく左右されなくなります。

アビヤーサ(続ける力)とヴァイラーギャ(手放す力)、そして揺れたら中心へ戻る“意志の力”。

この3つが合わさることで、ヨーガの教える「心が静まる状態」が少しずつ形になっていくのだと思います。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第12節では、心のはたらきを静めるための基本的な方法として、
「アビヤーサ(繰り返しの練習)」と「ヴァイラーギャ(とらわれない姿勢)」の二つが示されています。

たとえば、集中したいのにスマートフォンが気になってしまう場面を想像してみてください。
最初から気にならなくすることは難しいですが、
「気づいたら画面を見る手を止め、今やっていることに戻る」
この行為を何度も繰り返すうちに、少しずつ集中できる時間が伸びていきます。
これが、アビヤーサ(繰り返し練習すること)のイメージです。

一方で、通知が来るたびに
「すぐ見なければならない」
「見逃したら困るかもしれない」
と強く執着していると、心はなかなか落ち着きません。
必要以上に反応しなくても大丈夫だと理解し、距離を取ること。
これが、ヴァイラーギャ(とらわれを手放す姿勢)にあたります。

第12節が伝えているのは、
心を静めるには「頑張るだけ」でも「手放すだけ」でも足りないということです。
戻り続ける努力と、執着しすぎない態度
この二つがそろうことで、心は自然と落ち着いていくと説かれています。

感想

私自身、ヨーガを学び始めるまでは、
「ヨーガを日常に取り入れる=どこかの時間を空けてアーサナ(ポーズ)を行うこと」
というイメージが強くありました。
でも学びを深めていく中で、ヨーガはポーズだけではなく、呼吸法や瞑想など、日常のどんな場面でも実践できるものだということに気づかされました。

例えば、レンジで食べ物を温めているほんの数十秒。
運転中の信号待ちの時間。
家事や育児の合間にふと訪れる隙間時間。
そんな一瞬に呼吸を深めてみたり、短い瞑想を取り入れることができます。

私が日常に取り入れている瞑想というのは、
座って目を閉じるような特別なものではなく、
今している行動に意識を向ける」実践のこと

たとえば皿洗いの時間なら、

水の温度、手に触れる感覚、食器をこする音
、泡の動きこうした一つひとつを観察しながら、
ただ“目の前の作業” に集中してみる。
それだけで自然とマインドフルな状態になり、
頭がスッキリとして気持ちが整っていきます。

こうして小さく意識を向ける練習を続けていると、
1日の中で無理なくヨーガを取り入れられるようになります。
そしてこの積み重ねこそが、心と体を軽くし、
自分の中にある執着やこだわりを客観的に見つめ、
少しずつ手放していくプロセスなのだと感じています。

ヨーガは、特別な時間を作り実践することだけではなく、日常の中で自分を丁寧に整える“ちょっとした意識”の積み重ねなんだと、改めて教えてもらった気がしています。

また、日常の中では、結果への執着が出てきたり、
気づけば完璧主義が不必要な場面で顔を出してしまうこともあります。
でも、そんなときこそヨーガの出番。

「いま私は何にとらわれているのかな?」
「どんな思考に引っ張られているんだろう?」

そうやって自分を客観的に見つめ、
一度中心に戻ってからまた観察する。
この“気づく→戻る→観る”という繰り返しが、
まさにヨーガの実践そのものなのだと感じます。

ヨーガを続けていると、
日常の中でふと気づける瞬間がどんどん増えます。
学びが深まるほど、新しい視点からの気づきも生まれてきて、
そのプロセス自体がとても楽しいものです。

結局のところ、私は“自分を知ること” に興味があるんだろうなと感じます。
ヨーガはまさにその旅を一緒に歩んでくれる存在なのだと思います。

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