ヨーガ・スートラ第1章13節|繰り返し練習するということ

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第1章13節

『勤修とは、心素の働きを止滅させている境地に、しっかりとどまり続けようとする努力のことである』

解説

前回の投稿で心の働き(ヴィリッティ)を静める方法は2つあり、そのうちの1つがアビヤーサ(勤修、繰り返し練習し続けていくこと)でした。
今回はそのアビヤーサについて解説して行きます。

アビヤーサ(勤修)とは心素の働きを止滅させている境地にしっかりとどまり続けようとする努力のことである。

つまりアビヤーサとは、ただヨガを続けるという表面的なものではなく、揺れ動く自分の考えや感情に奪われないために、何度でも“自分自身へ戻る練習”を続けること。

心は日々の出来事で簡単に揺れます。
イライラしたり、不安になったり、落ち込んだり。
でも大切なのは、揺れないことではなく、
揺れた瞬間に気づき、自分で心を扱い直すこと

呼吸に戻る、姿勢を正す、
“いま”に意識を戻す、考えすぎを手放す。
こうした小さな戻る練習こそがアビヤーサであり、
心を整える本質的なヨーガの実践です。

そしてアビヤーサは、1日や2日では身につかないとパタンジャリは言います。
長い時間をかけて、持続的に、繰り返し続けていくこと。これが本当の意味での勤修です。

そのためには、
「自分はどうなりたいのか」
「どんな生き方を選びたいのか」
という、自分自身のゴールを見極めることが欠かせません。行き先がわかれば、迷いながらでも進み続けることができるからです。

ゴールを明確にしたら、
あとは焦らず、急がず、地道に練習を重ねていくこと。
心が揺れたら戻り、また揺れたら戻る。
この繰り返しが、少しずつ心に静けさを育てていきます。

このアビヤーサは“戻る力” と “続ける力” を育てることがヨーガであるという大切なメッセージを教えてくれています。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第13節では、アビヤーサ(繰り返しの練習)とは何かが、より具体的に説明されています。
ここでいうアビヤーサとは、心を静めた状態に「一度なること」ではなく、その状態にとどまり続けようとする努力のことです。

たとえば、姿勢を正して座っている場面を思い浮かべてみてください。
一瞬だけ背筋を伸ばすことは誰にでもできますが、時間が経つと無意識のうちに姿勢は崩れてしまいます。
そのたびに気づいて、また姿勢を整す。
この「崩れたことに気づき、戻す」という繰り返しが、アビヤーサの感覚に近いといえます。

瞑想や集中も同じです。
雑念が消えた瞬間を作ることが目的ではなく、
心がそれたことに気づき、また静けさに戻ろうとする。
その姿勢を何度も続けることが、第13節でいう練習です。

この節が伝えているのは、
「できているかどうか」ではなく、
戻ろうとし続ける意志そのものが練習であるということです。
現代の忙しい生活の中でも、気づいて戻る、その積み重ねが心を育てていくとヨーガは考えます。

感想

幼少期からの自分の人生を振り返ると、
人から言われた言葉や、その時その時の感情に振り回されて、
自分を見失っていたことが何度もあったなと感じます。
「もしあのとき、一歩引いて客観的に自分を見られていたら、
ヨーガ的な視点を持てていたら、違う選択ができたのかもしれない」
そんなふうに思うこともあります。

でも今では、その経験があったからこそ、
こうしてヨーガを学ぶ流れができているのだと思えるようになりました。

これからの人生では、ヨーガの智慧や瞑想、アーサナ、呼吸法を通して、
自分を客観的に見つめながら、
「どう生きたいのか」「何を大切にしたいのか」を
丁寧に確かめていきたいと思っています。

そして、自分が選んだ道に対しては、
アビヤーサ(勤修)の教えを胸に、
焦らず、あわてず、何度でも繰り返し続けていく。
その積み重ねこそが、私にとってのヨーガであり、
これからの人生を豊かにしてくれるものだと改めて感じています

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