ヨーガ・スートラ第1章15節|見極めとしての離欲

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第1章15節

『離欲とは視認し、または視認しない、いずれの対象物をも欲することを止めた人物の抱く欲望を完全に克服した意識のことである』

解説

以前の投稿に続き、心素の働きの止滅は、勤修(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)によって成し遂げられる。
前回までは勤修(アビヤーサ)について解説をしてきましたが、今回は離欲(ヴァイラーギャ)について解説します!

離欲(ヴァイラーギャ)とは視認し、または視認しないいずれの対象物をも欲することを止めた人物の抱く、欲望を完全に克服した意識のことであると説かれています。

離欲と聞くと、「欲をなくすこと」「我慢すること」とイメージしがちですが、そうではなく、欲望に心が振り回されずにいられる状態 のことを指します。

私たちは、物や人に対して「こうであってほしい」「もっと欲しい」と無意識に期待を重ねてしまうことがあります。でも、期待が大きくなりすぎると、
ありのままの姿を見られなくなったり、思い通りにいかない現実に傷ついてしまったりするものです。

物と人に対して、頼りすぎず、拒絶しすぎず、バランスを保つこと。その距離感を見極めることが、心の平和につながります。

心が外側へ引っ張られて欲望や心配でいっぱいになってしまうと、本来向き合うべき「自分自身」が見えなくなってしまいます。
だからこそ、自分の中に湧き上がる期待や不安に気づいた瞬間こそヨーガの実践のタイミング。

呼吸に戻り、冷静に自分を保ち、とらわれをそっと手放していく。それが離欲(ヴァイラーギャ)の実践です。

ヨーガは、外の世界を否定するためのものではなく、外側と内側のバランスを調えながら、
軽やかで自由な心を育てていくための智慧。

揺れたら気づき、また整える。
その積み重ねによって、自然と穏やかな日常へと近づいていくのだと思います。


ヨーガ・スートラでは、離欲(ヴァイラーギャ)の深まりには段階があると説かれています。ものや人に振り回されず、心を自由に保つ力は、少しずつ育っていくもの。その成長の流れを、ヤタマーナ、ヴャティレーカ、アイキェーンドリヤ、ヴァシーカーラという4つの段階で示しています。

最初のヤタマーナは、自分の心が何に振り回されているのかに“気づけるようになる段階”です。怒りや嫉妬、比較心、物欲など、心が乱れそうになる瞬間を確認し、「いま私はこういう反応をしている」と自覚できるようになることが大きな一歩になります。

次のヴャティレーカでは、心を乱す方向を“選ばなくなる段階”へと進みます。前ほどイライラに飲み込まれなくなったり、過剰に人と比べないでいられたり、自分の心を扱える感覚が育ち始めます。ここでは、小さな変化の積み重ねが自信につながっていきます。

三つ目のアイキェーンドリヤでは、欲望に引っ張られる力がぐっと弱まり、内側の静けさに意識が自然と向くようになります。他人の評価に揺れなくなったり、良く見られたいという思いが薄れたり、心が落ち着いている時間が増えていきます。自分の中心に戻る力が安定してくる、いわば“確信の段階”です。

そして最後のヴァシーカーラは、外側の出来事にも内側の感情にもほとんど揺れ動かされず、心が自由で満たされた状態です。状況がどう変わっても静けさを保てるようになり、「今のままで十分」という自然な満ち足りた感覚が続きます。これが完全な見極めであるパラ・ヴァイラーギャへとつながる境地だといわれています。

離欲というと“何かを手放す”イメージがありますが、実際には心が外側にも内側にも振り回されなくなり、自分の中心に穏やかに立ち続けられるようになるプロセスです。4つの段階は、心の自由を少しずつ取り戻していく道のりそのものであり、日々の小さな気づきと実践が確実に力になっていくのだと思います。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第15節では、ヴァイラーギャ(離欲・とらわれない姿勢)について説かれています。
これは、欲望を無理に抑え込むことや、何も欲しなくなることを意味しているわけではありません。
むしろ、感覚的な刺激や結果に心が強く引きずられない状態を指しています。

たとえば、SNSを見ているときのことを思い浮かべてみてください。
「いいね」の数や反応が気になり、何度も画面を確認してしまうと、心は落ち着かず、評価に振り回されやすくなります。
一方で、「反応はありがたいけれど、必要以上に気にしなくていい」と距離を取れたとき、心には余裕が生まれます。
これが、ヴァイラーギャの感覚に近い状態です。

また、結果に対する期待が強すぎると、
「うまくいかなかったらどうしよう」
「思った通りにならないと意味がない」
と、心は常に緊張した状態になります。
ヴァイラーギャとは、行動は丁寧に行いながらも、結果に過度にしがみつかない姿勢だといえます。

第15節が伝えているのは、
欲望そのものが問題なのではなく、
欲望に心が支配されてしまうことが苦悩を生むという視点です。
感覚的な喜びや評価に一歩距離を取ることで、心は静けさを取り戻しやすくなります。

感想

私自身も、もちろんさまざまな欲を持ちながら生きています。
それは人として自然なことだと思います。

でも、離欲の教えを知った今は、
欲望に気づいたときこそ少しだけ立ち止まってみるようにしています。

「この欲は本当に自分のため?」
「誰かと比べて生まれたものじゃない?」
「なぜそれが欲しいの?」
「手に入れて何を得たいの?」

そんなふうに、一歩引いて客観的に見つめてみる。
自分の欲望と丁寧に向き合うことで、執着が少しずつ緩んでいき、心が軽くなる瞬間があることを感じています。

これからも離欲の智慧を日常の中に思い出しながら、自分に正直に、そして冷静に、心と向き合っていきたいと思います

この4つの見極めをヨーガの智慧や実践の努力で達成できた後の、さらに深い完全な見極めの状態について次回は解説していきます!

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