前回に引き続き、
「あるいは“イーシュヴァラへの献身”によっても、無想三昧は成熟する」と説かれています。
ここで伝えられているのは、努力や集中を重ねる道とは別に、すべてを大きな流れに委ねる姿勢によっても、心は深い静けさへと至るという、もう一つの在り方です。
すべてを自分の思い通りに動かそうとするのではなく、物事には流れがあり、巡りがあり、その中で今ここに起きていることには意味があると理解していく。
その姿勢が、過剰な緊張や執着をゆるめ、心を深い静けさへと導いていきます。
サマーディとは、何かを無理に掴みにいくものではなく、流れと調和したときに自然と訪れる心の状態なのだと感じます。
また、ヨーガと瞑想の達成には、熱心さや、理解の深さによって、ゴールに至るスピードが変わるとも説かれています
。どれくらい本気で向き合っているのか、どれくらい深く理解しようとしているのか。
その姿勢の違いが、そのまま歩みの違いとして表れていきます。
自分が本当に達成したいことは何なのか。
それを鋭く見極め、迷いなく定め、その目標に向かってヨーガの練習や瞑想に、時間とエネルギーのすべてを傾けることができる人は、それだけ速いスピードで前に進んでいきます。
心をひとつに集中し、自分のやりたいこと、成し遂げたいことの優先順位を明確にし、一番大切なことに時間とエネルギーを惜しみなく注ぎ込むことができたとき、瞑想はただの時間ではなく、人生そのものを整える実践になります。
ヨーガの練習や瞑想は、特別なときにだけ行うものではなく、毎日の生活の中に自然に組み込まれていくことで、少しずつ深まっていきます。
ある一定時間、途切れなく、繰り返し集中して練習していくことで、私たちは少しずつサマーディ(深い瞑想の状態)へと近づいていきます。
努力して積み重ねること。
流れに委ねること。
自然の摂理を理解し、受け入れること。
そして、自分の目指す方向をはっきりさせ、
そこに集中すること。
これらすべてが重なったとき、サマーディは特別な世界の話ではなく、日常の実践の延長線上に、静かに現れてくる心の境地なのだと、これまでの教え全体を通して感じています。
たとえばこれを、スポーツや仕事、趣味の上達に置き換えるととても分かりやすいです。
本気で結果を出したい人は、
・何を達成したいのか目標がはっきりしていて
・そこに使う時間やエネルギーの優先順位が明確で
・毎日の練習をコツコツ続けています。
だから上達も早いですよね。
一方で、「できたらいいな」くらいの気持ちで、気分のいい日だけやっている人は、成長のスピードもゆっくりになります。
これは良い悪いではなく、向き合い方の違いが、そのまま結果の違いになるというだけのことです。
さらにもう一つ大切なのが、頑張りすぎて力みすぎないことです。
結果を必死につかみにいこうとして肩に力が入りすぎると、かえって本来の力が発揮できなくなることってありますよね。
逆に、「やることはやったから、あとは流れに任せよう」と力を抜いたときのほうが、自然とうまくいくことも多いと思います。
ヨーガや瞑想もまったく同じで、
・熱心に向き合い、毎日積み重ねる
・でも結果には執着しすぎない
・流れを信頼して委ねる
このバランスが整ったとき、心は自然と静まり、サマーディの状態に近づいていくということなのかなと。
まずは自分が何をどうなりたいのか、自分と向き合うことはとても重要なことなんだなとヨーガを通しても実感します。
