ヨーガ・スートラ第1章26節|時を超えて存在する師

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

26節では、イーシュヴァラの智慧が時間を超えて存在していることが説かれています。
パタンジャリは、イーシュヴァラを「最初の師であり、すべての師の源」と表現しています。

私たちが学ぶ知識や教えは、誰かから教わり、経験を通して身につけ、時代とともに更新されていくものです。しかし、ここで語られている智慧は、そうした時間の流れや学習の積み重ねによって生まれたものではありません。
イーシュヴァラの智慧は、はじめから存在し、過去・現在・未来を通して変わることのない真理だとされています。

だからこそ、イーシュヴァラは「最初の師」でありながら、今この瞬間にも有効な教えの源であり続けます。誰かが作り出した思想や理論ではなく、人間の苦悩や迷いの根本にいつの時代でも当てはまる智慧が、そこにはあるという考え方です。

ヨーガの教えが何千年もの間受け継がれてきたのは、この普遍性があるからだといえます。時代や文化が変わっても、人が悩み、迷い、苦しむ構造は大きく変わりません。その根本に光を当てる智慧もまた、変わらず存在し続けているのです。

26節は、ヨーガが一時的な流行や思想ではなく、時間を超えて生き続ける本質的な智慧の流れの中にあることを示しています。そしてその智慧は、特定の誰かだけのものではなく、心を静め、内側に向き合うことで、誰もが触れることのできるものだと伝えています。

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