このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
第27節では、これまで語られてきたイーシュヴァラ(自然の摂理・純粋な意識)を、どのように理解し、実践の中で扱っていくのかが示されています。
「イーシュヴァラを指し示すものが、聖音アウン(プラナヴァ)である」
と説かれており、つまり自然の摂理そのものを表す呼び名・象徴が、聖音アウンであるということが示されています。
イーシュヴァラは目に見える存在ではなく、概念としても非常に捉えにくいものです。
そこでパタンジャリは、それを理解しやすくするために「音」という具体的な象徴を用いました。アウン(オーム)は、単なる言葉や発声ではなく、万物の根源的な振動を象徴する音として、古くからヨーガや瞑想の実践の中で大切にされてきました。
聖音アウンは、サンスクリット語の三つの音から成り立っています。
「ア」は、目が覚めて活動している状態を表し、五感を通して外の世界を認識している「起きている世界」を示します。
「ウ」は、夢を見ている状態で、外界から離れ、内側のイメージや記憶が展開される「夢の世界」を表します。
「ン」は、深い眠りの状態を意味し、思考も感覚も働かない「熟睡の世界」を示しています。
これら三つは、私たちが日常で必ず行き来している三つの意識の状態であり、同時に、過去・現在・未来という三つの時間の流れにも重ねて理解することができます。
ヨーガでは、これらすべての状態に等しく浸透している存在こそが、イーシュヴァラであると考えます。
起きているときも、夢を見ているときも、深く眠っているときも、形を変えずに在り続ける意識の土台です。
人は「あー」という泣き声とともに生まれ、
やがて眠りの中で静かに「ん」という音へと還っていく。
その始まりから終わりまで、すべてを包み込んでいる音が、アウン(オーム)だともいわれています。
第27節が伝えているのは、イーシュヴァラという存在は、特別な場所や遠い世界にあるのではなく、私たちが日々体験しているすべての意識の状態の中に、常に在り続けているということです。
アウンという音は、その事実を思い出させ、散らばりやすい心を一つにまとめ、内側へと意識を向けるための大切な手がかりになります。
哲学として理解するだけでなく、音というシンプルな象徴を通して体験として深めていくこと。
第27節は、ヨーガが思索だけの教えではなく、日常の実践の中で生きた智慧として育まれていく道であることを示している一節だと感じます。
