このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第1章39節
『あるいは、自分に適した静慮によっても、心素は動かなくなる』
解説
第39節では、心を安定させ、集中を深めていくための方法として、
自分に適した対象を選んで瞑想してもよい
という柔軟な姿勢が示されています。
ここまでの節では、
呼吸、感覚、内なる光、執着のない心、夢や眠りなど、
いくつかの具体的な対象が挙げられてきましたが、
第39節では、それらに限定される必要はないと説かれます。
パタンジャリは、
人それぞれ気質や傾向、理解の深まり方が異なることを前提としています。
そのため、特定の対象だけにこだわるのではなく、
心が静まりやすいもの
安心感や明晰さをもたらすもの
邪魔や混乱を増やさないもの
であれば、どのような対象であっても、
瞑想の支えとして用いることができるとしています。
ここで大切なのは、
対象そのものの「価値」や「優劣」ではなく、
対象を通して心が一つにまとまり、静まっていくかどうか
という点です。
対象が適切であれば、
散乱していた心は次第に一点へと集まり、
そこから静けさと集中が育っていきます。
第39節は、
ヨーガの実践が形式や方法に縛られるものではなく、
各人の心の性質に合わせて、
もっともふさわしい道を選ぶことが許されていることを示した節です。
現代視点での解釈
第39節では、
「心が静まりやすい対象なら、自分に合うものを選んでよい」
という、とても柔軟な考え方が示されています。
特定のやり方や、特別な対象だけに縛られる必要はありません。
現代的に言えば、
同じ「集中」でも、人によって落ち着き方が違うのに似ています。
ある人は、静かな場所で呼吸に意識を向けると落ち着くかもしれません。
別の人は、本を読むと自然と心がまとまることもあります。
また別の人は、ろうそくの炎や自然の景色を見つめていると、
余計な思考が静まっていくこともあります。
ここで大事なのは、
「これが正しい瞑想だから従う」
ではなく、
「これをしていると、心が静かになり、集中しやすい」
という感覚です。
もちろん、ただ気分転換をする、気晴らしをすることとは違います。
気晴らしは一時的に忘れさせてくれますが、
瞑想の対象は、心を一つにまとめ、内側を澄ませてくれます。
第39節が伝えているのは、
・人それぞれ心の傾向が違う
・だから、静まる入り口も一つではない
・大切なのは「静けさへ導くかどうか」
という、とても現実的で優しい視点です。
