ヨーガ・スートラ第1章3節|本来の自己にとどまる状態

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第1章3節

『心素の働きが止滅すれば、観る者たる真我は、その本性にとどまる』

解説

第3節では、ヨーガが目指す状態がとても端的に示されています。
前の節で「ヨーガとは心のはたらきを収めること」と語られましたが、この節では、心のはたらきが静まったときに、私たちはどのような状態にあるのかが述べられています。

ここで説かれているのは、
心の動きが静まると、人は本来の自己にとどまるということです。

私たちは普段、考えや感情、記憶、役割、評価など、さまざまな心の動きの中で生きています。そして無意識のうちに、それらを「自分そのもの」だと思い込んでいます。しかしヨーガの視点では、それらはあくまで一時的に現れては消えていく心のはたらきであり、本当の自分ではないと考えます。

心が静まったとき、
「考えている自分」
「感じている自分」
「役割を演じている自分」
から一歩離れ、ただ“在る”という感覚に戻ります。
それが、この節で言う「本来の自己にとどまる」という状態です。

これは、特別な体験を得ることや、別の人格になることではありません。
余計な思考や反応が一時的に落ち着き、何も付け足されていない、本来の自分に戻っている状態だといえます。

第3節は、ヨーガの実践が目指すゴールを静かに示しています。
それは、心をコントロールして何かを得ることではなく、心の動きが静まったときに自然と現れる、本来の自分として在ること。
この節は、そのシンプルで本質的な在り方を教えてくれているのだと思います。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第3節では、心のはたらきが静まったとき、人は「本来の自分」にとどまることができると説かれています。
ここでいう本来の自分とは、性格や役割、感情や評価といったものではなく、それらが一時的に静まったときに残る、変わらない感覚のことです。

たとえば、仕事や家事がひと段落し、誰にも急かされず、スマートフォンも触らずに、ふっと深呼吸した瞬間を思い出してみてください。
「何かを考えているわけではないけれど、落ち着いている」「理由はないけれど、今ここにいる感じがする」
そんな感覚になることがあります。

そのとき私たちは、
「ちゃんとしなきゃ」「評価されなきゃ」「不安だ」「こう思われているかも」
といった心の声から少し距離を置いています。
第3節が示しているのは、まさにその状態です。

これは、特別な修行者だけが体験するものではありません。
心の動きが一時的に静まり、役割や思考から離れたとき、誰もが自然と触れている感覚です。
ヨーガは、その状態を偶然に任せるのではなく、意識的に保てるようにしていく道だといえます。

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