このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第1章4節
『その他の境地にあっては、観る者は心素の種々なる働きと同化している』
解説
第4節では、前の節とは反対の状態が語られています。
第3節では「心の働きが静まったとき、本来の自己にとどまる」と説かれていましたが、この4節では、心が静まっていないとき、私たちは何と同一化しているのかが示されます。
ここで語られているのは、心の働きが動いているとき、人はその心の内容を“自分自身”だと思い込んでしまうということです。
考え、感情、記憶、判断、不安や期待といったものが次々と浮かび、それらをそのまま「私」「自分の本質」だと捉えてしまう状態です。
たとえば、
「不安を感じているから、私は不安な人間だ」
「怒りが湧いているから、私は怒っている人だ」
「失敗したから、私はダメな人だ」
といったように、心に現れた一時的な状態と自分自身を重ねてしまう。これが、第4節で示されている状態です。
ヨーガの視点では、これらの考えや感情は一時的に現れては消えていく心の働きにすぎません。しかし、それに気づけていないと、私たちは心の動きに引き込まれ、振り回され、苦悩を感じやすくなります。
第4節が伝えているのは、
「心が動いていること自体が問題なのではなく、その動きと自分を同一化してしまうことが苦しみの原因になる」ということです。
ヨーガの実践は、考えや感情を無理に消すことではありません。
それらが起きていることに気づきながら、
「これは心の働きであって、自分そのものではない」
と見分けていく力を育てていくことです。
第4節は、私たちが日常で無意識に行っている「心との同一化」に気づかせ、そこから一歩距離を取るための大切な視点を示している節だといえます。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第4節では、心のはたらきが静まっていないとき、人はその心の動きと自分自身を同一化してしまうと説かれています。
つまり、考えや感情、評価や記憶を「自分そのもの」だと思い込んでしまう状態です。
たとえば、仕事でミスをしたあとに
「私はダメな人間だ」
「もう信頼されていないかもしれない」
と頭の中で考え続けてしまうことがあります。
そのとき私たちは、「失敗した」という事実ではなく、失敗について浮かんだ考えそのものを自分だと思い込んでいます。
また、人の言葉に傷ついたときに
「私は価値がない」
「きっと嫌われている」
と感じてしまうのも同じです。
一時的に起きた感情や思考が、いつの間にか「私そのもの」になってしまいます。
第4節が示しているのは、この状態こそが苦しみの原因になるということです。
考えや感情は刻々と変わりますが、それらと自分を重ねてしまうと、心は常に揺れ続けることになります。
この節は、「考えや感情があること」自体を否定しているわけではありません。
大切なのは、それらが起きていることに気づき、自分そのものと混同しないことです。
ヨーガは、心の動きから一歩距離を取り、本来の自分に戻るための視点を与えてくれているのだといえるでしょう。
