このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第1章14節
『この勤修は休むことなく熱心に長期にわたって行じ続ければ、堅固でしっかりしたものとなる』
解説
前回に続き、心素の働きの止滅は、勤修(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)によって成し遂げられる。
またアビヤーサが心素の働きを止滅させている境地にしっかりとどまり続けようとする努力のことであると説いていました。
今回はその続きで、この勤修(アビヤーサ)は休むことなく熱心に長期にわたって行じ続ければ、堅固でしっかりしたものとなると説いています。
勤修(アビヤーサ)とは、心が落ち着いた状態にとどまり続けようとする意志ある努力 のこと。
揺れ動く思考や感情に飲み込まれそうになっても、
自分で“静けさ”へ戻る練習を繰り返すことで、心は少しずつ力を取り戻していきます。
そして、このアビヤーサが本当に身につくためには、
休まず、長い時間をかけて、熱心に、誠実に続けていくこと。
これが大切だとヨーガは教えています。
ヨーガの実践は、気が向いた時だけ行うものではなく、日常の生活そのものに溶け込んでこそ、しっかりと根づいていきます。
続けていくうちに、呼吸法や瞑想、心への気づきが
「特別な行為」ではなく、当たり前の習慣 へと変わっていきます。
たとえば、朝の深呼吸、家事の合間の小さな瞑想、
感情が揺れた瞬間の“ひと呼吸”など、
日々の小さな実践の積み重ねが、
自然とヨーガ的な生き方へ導いてくれます。
大切なのは、「気が向いたらやる」という不定期な努力ではなく、自分をより良い方向へ整えていくという静かな決意。
その決意をもとに淡々と続けていく姿勢が、
やがて心の揺れを静める確かな土台となります。
ヨーガが伝えているのは、
努力をし続けることではなく、
努力という言葉すら必要ないほど、
自然にヨーガが生き方として定着するまで続けること。
日常を通して積み重ねるアビヤーサこそが、
揺れない心を育てていく大きな鍵なのだと感じます。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第14節では、アビヤーサ(勤修・練習)が本当に力を持つ条件が示されています。
それは、「長い時間をかけて」「途切れずに」「真剣な姿勢で」続けられていることです。
たとえば、歯みがきを思い浮かべてみてください。
一度だけ丁寧に磨いても、虫歯を防ぐことはできません。
毎日、特別な気合を入れなくても、当たり前のように続けているからこそ、歯の健康が保たれます。
この「特別ではないけれど、淡々と続いている状態」が、第14節のいう練習の質に近いといえます。
また、運動や勉強でも、
「やる気のある日だけ頑張る」よりも、
短くても定期的に続けているほうが、結果として身についていきます。
ヨーガも同じで、気分に左右されず、生活の一部として続けることで、心に安定が根づいていくと説かれています。
第14節が伝えているのは、
才能や特別な体験ではなく、続け方そのものが心を育てるという視点です。
長く、途切れず、誠実に積み重ねられた練習は、やがて揺らぎにくい土台となり、心を静けさへと導いていきます。
感想
今回の教えは、本当に心に響きました。
「繰り返して続けること」が大事だと頭では分かっていても、気づけばその日の気分でやったりやらなかったりしてしまうことってありますよね。
でも、パタンジャリさんはその前にまず“自分をより良い方向へ変えていく決意”が必要だ!と言っているんだなと改めて感じました。
自分はどうしたいのか、どうなりたいのか。
その部分をしっかり考えて強い決意を持ったうえで、気分で左右されるのではなく、日常生活の中に自然と落とし込めるくらい、当たり前になるまで続けていくことが大切なんですね。
今回の学びを通して、私ももう一度、自分がどこへ向かって生きたいのか、自分自身としっかり向き合って考えたいと思いました
