【yoga】〜離欲の境地〜

前回の投稿に引き続き”離欲”について解説します。

純粋意識を悟るために、3種の徳性に対し、ほんのわずかでも欲望を抱かなくなれば、それが最高の離欲の境地であると説かれています。

前の段階では、物や人、外側の対象への過度な期待や執着から距離を取り、心を自由にしていく離欲が示されていました。そして今回の教えでは、さらに深いレベルの離欲について語られています。

それは、外側のものだけではなく、自分の内側に生まれるごく微細な欲望や感情にも揺れなくなる状態のことです。

「もっと認められたい」「成長したい」「良い人でいたい」など、一見すると前向きに見える願望でさえ、思い通りにならないと心を揺らし、ストレスの原因になってしまうことがあります。

これらの内側の動きに振り回されず、静かに見極められる心こそが、深いレベルの離欲とされています。

パタンジャリは、物事や状況、人の在り方をそのまま認め、受け入れられる心の広さこそ、離欲が成熟している証だと説きます。ものや人との関係において、依存しすぎず、拒絶しすぎず、ほどよい距離感を保てているとき、私たちの心は静けさを失いません。過度な期待も、不必要な不安もなく、ありのままを見極められる心です。

さらにヨーガでは、完全な離欲(パラ・ヴァイラーギャ)は「自分の真実を知ること」から生まれるといいます。

私たちは、体や考えが変化していることに気づく“気づいている存在”です。変化するものを観ている側こそが、本当の自分の本質。外側の状況も、人の言動も、時間とともに変わっていくけれど、その変化を見ている“意識”そのものはずっと変わらず存在し続けています。

ものや人、状況など移り変わる世界の中にあっても、変わらない“意識としての自分”を理解できたとき、人は外側に振り回されなくなります。

誰かへの期待や評価、物へのこだわりに心を奪われることなく、軽やかに生きられる。

その気づきこそが、完全な離欲へとつながっていくとヨーガは説いています。

深い離欲とは、無関心でも無欲でもありません。
外側にも内側にもとらわれず、変わりゆく世界の中で変わらない本質に立ち返れる心。

その静けさに触れることが、ヨーガが示す大きな成長の段階だと感じます。焦らず、日々の気づきと手放しの実践を続けることで、少しずつこの深い静けさに近づいていけるのだと思います。


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