他方の(無想)三昧は勤修を行じた後に想念がなくなり、止念の残存印象だけが残っている三昧であると説かれています。
ヨーガ・スートラでは、瞑想が深まるにつれて心の働きがどのように静まっていくのかを段階的に説明しています。前回は、対象を認識したり、微細な思考や理解がわずかに残っている「有想三昧」について触れましたが、今回はそのさらに先にある、より深い静けさについて語られています。
パタンジャリさんは、「無想三昧」と呼ばれるこの段階を、勤修を重ねた先に“想念がなくなり、止念の残存印象だけが残っている状態”だと説明しています。
つまり、心の中で起こっていた想像、分析、記憶などの働きがほとんど動かなくなり、波一つない湖のように静まり返った心の状態です。
この深い瞑想は、一見すると眠っているように感じるかもしれません。しかし実際には意識は明晰で、深い覚醒が続いているのが特徴です。
思考が静まっても、自分がそこに“在る”という感覚ははっきりと残っており、過去の経験が印象としてわずかに潜んでいるだけの、とても繊細な静けさが保たれています。
無想三昧のような深い境地は、突然訪れるものではありません。日常の中で心を調え、欲望を手放し、集中する練習を丁寧に積み重ねていくことで、少しずつ心の動きが鎮まり、自然とこの静寂に触れられる瞬間がやってくるとされています。
呼吸に意識を戻し、雑念に気づいては手放すという小さな積み重ねが、深い瞑想への道を作っていくのです。
思考が止まり、意識だけが静かに輝いているようなこの状態は、ヨーガの修行の中でも特に純度の高い静けさといわれ、人が本来持っている意識の深さ・広がりに出会う入口でもあります。
外側の刺激や内側の欲望に揺れず、ただ「在る」ことそのものが満ち足りている。この静けさを体験することが、ヨーガが示す深い境地へと近づいていく大切なプロセスなのだと感じます。
