ヨーガスートラ第2章1節|実践としてのヨーガの三本柱

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第2章1節

『苦行と聖典読誦と神様への帰依とが予備段階のクリヤーヨーガである』

解説

ヨーガ・スートラ第2章1節では、「実践としてのヨーガ(クリヤー・ヨーガ)」について説かれています。ここでパタンジャリは、ヨーガを単なる理論や哲学としてではなく、日々の生き方の中で実際に行じていくものとして示しています。

この節で挙げられる実践の柱は三つあります。

それが、苦行(タパス)・自己探究(スヴァーディヤーヤ)・委ねる姿勢(イーシュヴァラ・プラニダーナ)です。

タパスとは、欲や怠惰に流されず、自分を整えるために必要な努力を続けることを意味します。無理に自分を追い込むことではなく、心と体を清め、意識を高めるための誠実な実践です。

スヴァーディヤーヤは、自分自身を観察し、学びを通して内面を見つめていくことです。経典の学習だけでなく、日々の思考や感情の動きを振り返り、自分の癖や無意識の反応に気づいていく姿勢を含んでいます。

そしてイーシュヴァラ・プラニダーナは、結果への執着を手放し、行為そのものを大きな流れに委ねていく態度を指します。自分の力だけで全てをコントロールしようとせず、謙虚さと信頼をもって行為を続けることです。

パタンジャリは、この三つの実践を通して、心の曇りが薄れ、苦悩が弱まり、深い集中や静けさへと向かう土台が整えられていくと説いています。第2章1節は、ヨーガが「特別な状態を目指すもの」である以前に、「日常の中で自分を整え続ける道」であることを示す、重要な導入の節だといえるでしょう。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第2章1節で語られるのは、「ヨーガは日常の中で実践していくものだ」という、とても現実的な教えです。ここで示されている三つの柱――努力、自己探究、委ねる姿勢――は、特別な修行環境がなくても、私たちの生活の中で育てていけるものです。

たとえば、生活を整えたい、心を落ち着かせたいと思ったとき、最初に必要になるのは「続けるための意志」です。早起きをする、呼吸を整える時間をつくる、感情に流されそうなときに一度立ち止まる。こうした小さな積み重ねが、ここでいうタパスにあたります。無理をすることではなく、自分を雑に扱わない姿勢ともいえます。

次に大切なのが、自分を振り返ることです。なぜイライラしたのか、なぜ不安になったのか、何に反応しているのか。日記を書いたり、心の動きを静かに観察したりすることは、スヴァーディヤーヤという自己探究の実践になります。これは、自分を責めるためではなく、理解するための時間です。

そしてもう一つが、「結果を握りしめすぎない」ことです。どれだけ丁寧に行動しても、思い通りにならないことはあります。そんなときに、「やるべきことはやった」と一度手放し、流れに委ねる姿勢が、イーシュヴァラ・プラニダーナに通じます。完璧を求めすぎず、行為そのものに誠実でいることが大切だと教えています。

第2章1節が伝えているのは、ヨーガはマットの上だけで完成するものではなく、日々の選択や姿勢の中で育っていくものだということです。努力し、振り返り、手放す。この三つを繰り返していくことで、心は少しずつ整い、苦悩が静まり、深い集中へと向かう土台が築かれていくのだと説かれています。

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