このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第2章3節
『無智、自我意識、愛着、憎悪、生命欲とが煩悩である』
解説
ヨーガ・スートラ第2章3節では、私たちの心を苦しめる根本原因として「五つの煩悩(クレーシャ)」が挙げられています。パタンジャリは、日々の悩みや迷いは偶然に起こるのではなく、心の深いところにあるこの五つの性質から生まれてくると説きます。
五つの煩悩とは、無明(アヴィディヤー)、自我意識(アスミター)、執着(ラーガ)、嫌悪(ドヴェーシャ)、そして死への恐れ(アビニヴェーシャ)です。これらはそれぞれ別々に見えても、互いに影響し合いながら心を曇らせ、苦悩を生み出す働きを持っています。
特に無明は、物事を正しく見られない状態であり、その土台の上に自我意識や執着、嫌悪が積み重なっていくと考えられます。自分を守ろうとする心が強くなるほど、好き嫌いが生まれやすくなり、思い通りにならない現実に苦しみやすくなる。そして、その奥には、生きることを握りしめようとする本能的な恐れが潜んでいるとされています。
第2章3節は、ヨーガが「悩みをその場しのぎで解決する」だけのものではなく、苦悩の根を見つめ、心の仕組みそのものを理解していく道であることを示しています。自分の中で何が苦しみを生み出しているのかを知ることが、手放しと自由への第一歩になる。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第2章3節では、私たちが日々感じる苦しさや生きづらさの背景には、「心のクセ」があると説かれています。パタンジャリはそれを、五つの根本的なはたらきとして整理しました。特別な修行者だけの話ではなく、誰の心の中にも起こりうる、ごく自然な反応です。
現代の生活で考えてみると、たとえば人間関係や仕事の場面で、必要以上に落ち込んだり、怒りが長引いたりすることがあります。その背景には、「自分はこう見られたい」「これは私の評価に関わる」といった自我意識が強く働いていることが少なくありません。そこから、うまくいったことには強く執着し、思い通りにならないことは避けたい、排除したいという感情が生まれていきます。
また、変化や不安定さに直面したとき、理由ははっきりしなくても強い不安を感じることがあります。失うことへの恐れや、今の状態が壊れてしまうことへの抵抗感が、無意識のうちに心を緊張させているのです。こうした反応は、頭では分かっていても簡単には止められないため、私たちは「どうしてこんなに苦しいのだろう」と感じてしまいます。
第2章3節が伝えているのは、こうした苦しさは「性格の問題」や「意志の弱さ」ではなく、心の構造として誰にでも備わっているものだということです。まずその仕組みを知り、自分の中で何が起こっているのかに気づくことが、苦悩を和らげていく第一歩になります。
ヨーガは、感情を否定したり抑え込んだりする道ではありません。心の奥で働いているものを理解し、距離を取れるようになることで、少しずつ自由を取り戻していく道なのだと、第2章3節は教えてくれているように感じます。
