ヨーガ・スートラ第2章6節|自我意識という錯覚

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第2章6節

『自我意識とは観るものとしての意識の力と、認識する力とを同一視することである』

解説

ヨーガ・スートラ第2章6節では、五つの苦悩の一つである自我意識(アスミター)について説明されています。自我意識とは、「観る者(意識)」と「観られるもの(身体・感覚・心)」を混同してしまう心の働きのことです。

本来、意識は観察する側であり、身体や感情、思考は観察される対象です。しかし自我意識が強まると、私たちはそれらを一つに重ね合わせ、「これが私だ」「これが自分そのものだ」と錯覚してしまいます。思考が湧けば思考が自分であり、感情が揺れればその感情が自分だと感じてしまう状態です。

この混同が起こると、心は安定を失いやすくなります。身体の状態、感情の変化、他者からの評価など、変わり続けるものに自己を結びつけてしまうため、外の状況に左右されやすくなるからです。自我意識は、無智(アヴィディヤー)を土台として生じ、他の苦悩である執着や嫌悪、恐れを引き起こす原因にもなります。

第2章6節は、苦悩を超えていくためには、「自分とは何か」を丁寧に見直す必要があることを示しています。ヨーガの実践とは、自我を否定することではなく、観る意識と観られる対象を正しく見分けていくことです。その見分けが育つほど、心は落ち着きを取り戻し、外の変化に振り回されにくくなっていきます。

この節は、自分を身体や心の動きと同一視する習慣に気づき、より静かで自由な在り方へと向かうための重要な視点を示しているといえるでしょう。

現代視点での解釈

ヨーガ・スートラ第2章6節で説かれている自我意識(アスミター)とは、「観ている意識」と「観られているもの」を混同してしまう心の働きのことです。本来、感情や思考、身体の状態は移り変わる対象であり、それを見つめている意識とは別のものですが、私たちは無意識のうちにそれらを一体化させてしまいます。

現代の生活で考えると、気分が落ち込んだときに「私はダメな人間だ」と感じたり、怒りが湧いたときに「私は怒りっぽい人だ」と決めつけてしまうことがあります。本当は一時的に現れた感情であっても、それをそのまま自分自身だと受け取ってしまうのです。こうして感情や思考と自分を重ねてしまうところに、自我意識が強く働いています。

また、仕事や人間関係の中で評価を受けたとき、その結果によって自分の価値が上下しているように感じることもあります。うまくいけば自信が高まり、うまくいかなければ深く傷つく。このように外の出来事に心が揺さぶられやすくなるのも、「変わるもの」と「自分そのもの」を混同している状態だといえます。

第2章6節が伝えているのは、自我意識を否定することではなく、その仕組みに気づくことの大切さです。感情や思考は自分の中に現れるものではありますが、それが自分そのものではないと理解できるようになると、心との距離が生まれます。その距離が、揺れやすかった心を少しずつ落ち着かせてくれます。

ヨーガの実践は、「私はこういう人間だ」という固定した自己像から自由になるための道でもあります。第2章6節は、日常の中で自分を縛っている自我意識に気づき、より静かで柔軟な在り方へと向かうための視点を示している節だといえるでしょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次