ヨーガ・スートラ第1章35節|感覚を観察して心を安定させる

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第1章35節

『あるいは超感覚的な作用が生じてくれば、意思はそれに結びついて動かなくなる』

解説

第35節では、心を安定させるための一つの方法として、感覚そのものを対象として観察することが示されています。
ここでいう感覚とは、視覚・聴覚・触覚など、外界との接触によって生じる知覚の働きです。

パタンジャリは、感覚を「楽しむ」ことや「評価する」ことを勧めているのではありません。
感覚が生じているという事実を、判断や反応を加えずに観ることで、
心が外の刺激に振り回されにくくなり、安定が生まれると説いています。

通常、感覚が生じると、
「心地よい」「不快だ」「もっと欲しい」「避けたい」
といった反応がすぐに起こります。
この反応の連鎖が、心の動揺や散乱を引き起こします。
第35節は、その連鎖の手前で、
感覚を感覚として純粋に捉えることの重要性を示しています。

感覚を客観的に観ることで、
心は対象に引き込まれることなく、
静かで明晰な状態を保ちやすくなります。
その結果として、集中が深まり、心の安定が得られると考えられています。

第35節は、
外界から離れて心を鎮めるのではなく、
外界との接触そのものを用いて心を整えるという、
ヨーガの洗練された実践の一つを示している節だと言えるでしょう。

現代視点での解釈

第35節では、心を安定させるための方法として、感覚そのものを観察の対象にすることが示されています。
ここで大切なのは、感覚に反応したり、評価したりするのではなく、
「感覚が生じている」という事実をそのまま捉える姿勢です。

現代の生活に置き換えると、
音や触感、匂いなどに気づいた瞬間に、
すぐ「好き・嫌い」「心地よい・不快」と判断してしまう場面が思い浮かぶかもしれません。
たとえば、ある音を聞いたときに、
それが心地よいかどうかを考える前に、
「今、音が聞こえている」とだけ気づいている状態です。

このとき、
感覚を追いかけたり、避けたりせず、
ただ生じては消えていくものとして観ていると、
心は刺激に引きずられにくくなります。
結果として、注意は外の対象に奪われるのではなく、
落ち着いた状態に保たれやすくなります。

第35節が伝えているのは、
感覚を遮断することでも、鈍感になることでもありません。
感覚と自分を同一化しないことで、心に余裕が生まれるという点です。
感覚をそのまま観るという行為が、
自然に集中と安定を育てていくと考えられています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次