このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第1章36節
『あるいは悲しみがなく穏やかとなり、光の輝きを内心で体験することで意思は動かなくなる』
解説
第36節では、心を安定させるための対象として、内なる光のような清らかな意識に集中する方法が示されています。
ここでいう「光」とは、物理的な光や視覚的な現象を指すものではなく、
濁りのない、明晰で穏やかな意識の状態を象徴的に表現したものです。
パタンジャリは、心が静まり、欲望や恐れ、混乱から離れたときに現れる、
透明で落ち着いた意識そのものを対象として観ることが、
集中と安定を深める助けになると説いています。
通常、心は外の出来事や感覚、思考の内容に引き寄せられやすく、
そのたびに揺れ動きます。
第36節は、そうした変化する対象ではなく、
心が澄んでいるときの質そのものに意識を向けることを示しています。
この実践によって、
心はより明るく、軽やかで、安定した状態を保ちやすくなります。
それは感情を抑え込むことではなく、
意識の本来の透明さに触れることで、自然と心が整っていく過程です。
第36節は、
集中の対象は外のものに限られず、
内側に現れる清らかな意識の状態そのものも、瞑想の支えとなる
ということを示した節だと言えるでしょう。
現代視点での解釈
第36節では、心を安定させるための対象として、
内側に現れる澄んだ明るさ、軽やかさ、清らかさをもった意識の状態に心を向けることが示されています。
ここで言われている「光」は、何かを見る対象というよりも、
心が静まったときに自然と感じられる、明晰で落ち着いた感覚そのものです。
現代的に例えるなら、
強い不安や焦りが一段落し、
「理由は分からないけれど、今は大丈夫だと感じられる」
そんな瞬間に近いかもしれません。
問題が完全に解決したわけではなくても、
心の中が少し明るく、軽くなっている状態です。
このとき、私たちは思考を必死にコントロールしているわけではありません。
むしろ、考えが静まり、
安心感や落ち着きが自然に前面に出てきている状態です。
第36節が示しているのは、
その心が澄んでいる感覚そのものを拠り所にするという実践です。
外の出来事や情報に意識を向け続けるのではなく、
「今の心は明るく、静かだな」と気づき、
その感覚に留まることで、
心は再び乱れにくくなっていきます。
