ヨーガ・スートラ第1章38節|夢と眠りから心を学ぶ

この記事の内容について

このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。

ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。

ヨーガ・スートラ第1章38節

『あるいは、夢眠状態や熟眠状態から生ずる智慧によっても、心素が動かなくなる』

解説

第38節では、心を理解し安定させるための対象として、夢や深い眠りの体験が示されています。
ここで注目されているのは、夢や眠りの内容そのものではなく、
それらの状態を通して明らかになる心の働きと意識の在り方です。

夢の中では、外界の刺激がないにもかかわらず、
心は映像や感情、物語を生み出します。
一方、深い眠りでは、思考や感覚の働きが止み、
対象を映さない静かな状態が続きます。
パタンジャリは、これらの状態を観察することで、
心がどのように活動し、どのように静まるのかを理解できると説いています。

特に重要なのは、
深い眠りの間、思考や記憶が働いていなくても、
「眠っていた」という経験が後に認識される点です。
これは、対象がなくても意識の基盤は失われていないことを示しています。

第38節が伝えているのは、
心は常に思考や感覚を伴っていなくても存在しており、
その静かな状態そのものが、集中と理解を深める手がかりになるという視点です。
夢と眠りを通して、
変化する心の働きと、それを知る意識との違いが明確になっていきます。

この節は、
瞑想の対象は覚醒時の体験に限られず、
意識のさまざまな状態を通して心を理解していくことができる、
というヨーガの広い視野を示している節だと言えるでしょう。

現代視点での解釈

第38節では、心を理解し安定させるための手がかりとして、夢や深い眠りの体験が挙げられています。
ここで大切なのは、夢の内容や眠りの質を分析することではなく、
それらを通して見えてくる心と意識の違いに気づくことです。

現代的に例えるなら、
一晩ぐっすり眠ったあとに「特別な夢を見た覚えはないけれど、よく眠れた」と感じる状態が近いかもしれません。
その間、考え事も感情の動きもほとんどなかったはずなのに、
目覚めたときには「眠っていた」という経験がはっきり残っています。

また、夢を見ているときには、
実際には起きていない出来事を、まるで現実のように体験します。
目が覚めた瞬間に、それが心の働きだったと分かりますが、
夢の最中には疑いなく信じてしまっています。
この体験は、心がいかに自由に映像や物語を生み出すかを示しています。

第38節が示しているのは、
思考やイメージが活発な状態も、
何も映っていない静かな状態も、
どちらも「心の状態」であり、
それらを知っている意識そのものは失われていない、という理解です。

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