このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第1章7節
『正しい知識とは、直接経験による知識と推理による知識と、聖典に記された知識である』
解説
昨日の投稿に続き、パタンジャリさんはヴルッティ(考え)はプラマーヤ(知覚)、ヴィパルヤヤ(間違い)、ウィカルパ(想像)、ニッドラー(眠り)、スムルティ(記憶)の5種類あると説いていて、
そのうちのプラマーナ(正しい知識、知覚、認識)について詳しく復習〜!
プラマーナ(正しい知識、知覚、認識)
正しい知識とは、直接経験した知識(プラッティヤクシャ)、推理による知識(アヌマーナ)、聖典に記された知識(アーガマ)の3つあると説かれています。
直接経験した知識(プラッティヤクシャ)
→これは自分の”見た・聞いた・触れた・嗅いだ・味わった”などの五感で知り、認識した体験にもとづく知識。
雨が降っているのを見て、「雨が降っている」と自分の目で見て確かめ認識できている状態。
推理による知識(アヌマーナ)
→これは五感で感じ、確認した情報から推測してわかる知識のこと。
目に見えないものを原因や結果から推測すること。例えば雨の日に天井から水が落ちてきたら、「天井に穴があって雨漏れしているのかもしれない」と推測する状態。
これが「天井に誰かが登って水を垂らしているのかも。誰か侵入して私を狙っているのかも」などと推測が思い込みに変わると、ヴィパルヤヤ(間違い)になってしまう。
聖典に記された知識(アーガマ)
→これは聖典や経典などから自分たちだけでは推測できない範囲の知識を学ぶということ。
ヨーガではこのパタンジャリさんが記したヨーガ・スートラから智慧を得ること。
盲信するのではなく、自分が信頼する人や知識のある人や書物から学び、理解し、実際に自分で行い自分がどう感じるかを観察することが大切。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第7節では、「正しい理解(正知)」とは何かが示されています。
ここでいう正しい理解とは、思い込みや噂ではなく、実際に確かめられた事実や、冷静な推論、信頼できる知識に基づいた理解のことです。
たとえば、体調が悪いときに、ネットの情報だけを見て
「きっと重い病気に違いない」と不安になることがあります。
一方で、医師に診てもらい、検査を受け、説明を聞いた上で
「今の状態はこうで、こう対処すれば大丈夫」と理解できたとき、心は落ち着きます。
同じ体調不良でも、どの理解に基づいているかで、心の状態は大きく変わります。
また、人間関係でも、
相手の表情や言葉を直接確認し、状況を冷静に判断した理解は、無用な不安を生みにくいものです。
反対に、確認せずに想像や憶測で判断すると、心は揺れやすくなります。
第7節が伝えているのは、
正しい理解とは「頭が良いこと」ではなく、
事実を確かめ、落ち着いて見極める姿勢そのものだということです。
ヨーガでは、このような正知に基づく心のはたらきは、苦悩を生みにくいと考えます。
現実をありのままに理解しようとする態度が、心を安定させ、次の行動を穏やかなものにしてくれるからです。
感想
なるほど〜!
「あの人ってこうらしい」
「きっと〇〇と考えているに違いない!」
「きっと〇〇なことがあったから〇〇なんだわ」
「私なんてきっと〇〇さんにこう思われているわ」「〇〇さんがこう言ってるんだから絶対正しいわ!」
こんな会話はパタンジャリさん的には、正しい知識ではないよと教えてくれている。
一歩間違った方向に入り込んでしまうと、5つの
”考え”であるヴィパルヤヤ(間違い)、ウィカルパ(想像)に無意識にいってしまうことってよくある。
少し自分の発言や考えを客観視して見て、
「あっ、今の私、ヴィパルヤヤ寄りじゃない?」
などと自分に問いかけてみようかなと思う。
また、「モデルのあの人がいいって言ってた!」「SNSでバズってるあの人が言ってた!」
「あの有名な占い師がこう言ってたから!」
などと何でもかんでも単純に盲信せず、自分の五感で体感して認識して、実際に試してみて、どう感じたかを客観視してみた上で、何をどう理解し、推測し、何を信じるかを自分で決めていくということなのかなと。
次はヴィパルヤヤ(間違い)を深掘りしよう〜
