パタンジャリさんはヴルッティ(考え)はプラマーヤ(知覚)、ヴィパルヤヤ(間違い)、ウィカルパ(想像)、ニッドラー(眠り)、スムルティ(記憶)の5種類あると説いていて、
今日はそのうちのヴィカルパ(想像)を詳しく復習していきます!
ヴィカルパ
(想像、迷い、妄想、不確かな情報に迷う)
”妄想とは実体を伴わない言葉の上だけで想起された知識である”
とヨーガ・スートラには考えの一つとして説かれています。
つまり、言葉はあるけれど、実体がないものを意味します。
「頭の中だけで作られたストーリー」「現実には存在しない想像上のもの」とも捉えられます。
現代バージョン例えてみると、メッセージを送っても返信がすぐにこないとき、
心の中で「もしかして私を避けているのかも」と
ストーリーを作り上げてしまうことがあります。
けれど実際は、相手がただ忙しかったり、携帯を
家に忘れて出かけていただけかもしれません。
根拠のない想像から、不安という名の物語を自分で紡ぎ出している状態。
また、産まれて数ヶ月の子どもが泣き続けているときに、「私の育て方が悪いのかもしれない」「私はダメな母親だ」と自分を責めてしまう状況。
しかし、子どもは泣くことで気持ちを表現するもの。欲求があるときもあれば、何もなくても泣くこともあります。
“完璧な母親像”と自分を比較して苦しむのも、頭の中で生まれた想像にすぎません。
このように、実体のない想像(ヴィカルパ)を
“真実”だと信じ込んでしまうことを、
ヨーガでは前回投稿で解説した「ヴィパリヤヤ(間違い)」と呼びます。
ヨーガではヴィパリヤヤ(間違い)は
“無知(真実を知らないこと)”と “ヴィカルパ(想像)”から生まれると言われます。
そして、この誤った理解は、ときにヴィカルパ(想像)とほぼ同じ意味で語られることさえあります。
どういうことかというと、
真実をきちんと見れていない土台の上に、
自分の主観や思い込みという“狭い想像”が重なり、
だんだんと心が混乱してしまうということです。
本来の姿が曇りガラスのように覆われたその上に、
さらに勝手な想像をのせてしまうので、
私たちは自分自身を歪めてしまい、
周りの世界を誤解し、悩みの中に迷い込みます。
私たちを苦しめる後悔、自己否定、不安、心配、恐れ、怒り、悲しみ、妬み、憎しみ・・・
そのほとんどは「真実の自分」を覆い隠してしまう“考え”にすぎません。
考えというのは、心の中に勝手に湧き上がって、
形を変えながら流れ続けるもの。
以前の投稿でも触れましたが、
ヨーガでは 「考えは“観られるもの”、本来の自分は“観る存在”」 と説かれています。
私たち自身は、どっしりと広がる青空のような存在で、その青空に浮かんでは流れていく雲こそが
「思考や感情」。
本来は別々のものなのに、
雲(考え)と青空(本来の自分)を混同してしまうと、無知と想像が入り混じり、苦しみが大きくなるのです。
でも、本来の“観る側の自分”を思い出すことができれば、移り変わる考えや感情を少し距離を置いて見ることができるようになります。
そうすることで、激しく揺れ動く感情に振り回されることが少なくなり、心は自然と軽くなっていきます。
また、よく似ているヴィパリヤヤ(間違い)とヴィカルパ(想像)の違いは
・ヴィパリヤヤ(間違い)
→現実を間違って理解する。
例:「上司が無表情=怒っているに違いない」
・ヴィカルパ(想像)
→現実には存在しないことを想像する。
例:「まだ何も起きていないのに、失敗したらどうしよう」と不安になる。
つまり、
ヴィパリヤヤ=“あるものを間違って見る”
ヴィカルパ=“ないものを作り出して見る”
どちらも心の中の“思い込み”ですが、
日々の生活の中で時々自分を客観視して気づくことが大切で、気づいた瞬間から、また”今ここに集中”することができる。
私自身、最近もヴィパリヤヤもヴィカルパもコンプリートしてしまっていたなと気づかされました笑
今まで考えてこなかった視点が学べるのでヨーガって本当面白いな〜と感じています。
このようなヨーガの智慧は、約3000年前のウパニシャッドで生まれ、その後の約1000年以上の実践を経て、約1600年前にヨーガ・スートラとして体系化されています。
ヨーガ・スートラというと、なんだか難しそうに聞こえたり、「昔の教えなんて今に合うの?」と疑問に思う方もいるかもしれません。
でも、ヨーガ・スートラは“信じるための教科書”ではなく、
長い歴史の中で多くの人が実際に試し、
「これは心と体に役立つ」と残してきた智慧の集まりなんです。
昔の人たちが、
「どうしたら心は静かになるんだろう?」
「どうしたら身体は整うんだろう?」
と何千年もかけて修行をし、観察し続けた
結果のノートのようなもの。
現代では現代の人に合わせた役に立つ部分だけを、日常で使わせてもらっている感じ。
ヨーガは特別な信仰でも神秘的なものでもなく、
心と体を整えるための、誰にでも使えるもの。
それがずっと受け継がれてきた理由なんだと思います。
・呼吸すると気持ちが落ち着く
・身体を動かすと心が軽くなる
・瞑想すると頭の中が整理される
こうしたことは、誰でも体験として分かるはずです。
ヨーガ・スートラの教えは、そんな当たり前の感覚を“わかりやすく言葉にしてくれている”だけなんですよね。
信じるかどうかではなくて、
「自分の生活が少し楽になるなら、それでいい」
というくらいの距離感で、気軽に取り入れていいもの。
こんな感じでこれからも学んでは、自分を観察して、取り入れてみたりしながら、また学んでを
繰り返して自分で自分を実験していこうと思います
次回ニッドラー(眠り)について解説します!
