このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第1章50節
『この真智から生ずる残存印象は、他の残存印象の発言を妨げる』
解説
ヨーガ・スートラ第1章50節では、サマーディから生まれた「真実を見抜く智慧」が、その後の心のはたらきにどのような影響を与えるのかが語られています。
ここでパタンジャリは、
サマーディから得られた智慧は、ふだんの思考や記憶から生まれる考えとはまったく異なる力を持ち、むしろそれらを静めていく方向へ導く、と説きます。
サマーディによって生まれた智慧は、
・推測や想像からつくられた理解ではなく
・他人の意見や観念に左右されたものでもなく
直接的で確かな体験に基づいているため、
心に深く刻まれ、揺らぎにくいものになります。
その智慧が心の中にとどまることで、
過去の経験による癖や、
執着や恐れから生まれる思考が、
少しずつ弱まり、落ち着いていきます。
つまり、
「新しい思考や妄想を増やす知識」ではなく、
「いらない心の動きを鎮めていく働き」
を持つのが、この智慧の特徴です。
パタンジャリは、この状態を通して、
心がさらに純粋へと向かい、サマーディがより深まっていくと説明します。
第50節は、ヨーガにおける“真の学び”とは、
知識を積み上げて心を重くすることではなく、
心を軽くし、静かにし、
本質だけを残していくプロセスなのだ
ということを示している節だといえるでしょう。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第1章50節では、サマーディ(深い静けさ)から生まれる“智慧”は、私たちが普段の勉強や経験から得る知識とは違う性質を持っている、と説かれています。その智慧は、新しい考えや悩みを増やすものではなく、むしろ心の中の余計な思考や不安を静めていく力があります。
たとえば「もっと頑張らなきゃ」「失敗したらどうしよう」と頭がいっぱいになっているとき、どれだけ情報を集めても、却って迷いや不安が増えることがあります。
でも、ふと静かに自分と向き合えた瞬間に、「今の私で大丈夫」「できることを丁寧にやろう」と腑に落ちることがあると、少し心が軽くなることがあります。この“深く腑に落ちる理解”が、第50節で語られる智慧に近いものです。
それは、誰かの言葉を鵜呑みにすることでも、理屈で無理やり納得することでもありません。静まった心の中から自然に生まれ、私たちの心を軽くし、静けさへ導いていく理解。
ヨーガは、知識を積み重ねるだけでなく、この静かな智慧が育つ土台を整えていく道なのだ、と第50節は教えてくれています。
