このブログでは、ヨーガ哲学の古典『ヨーガ・スートラ』を、一節ずつ丁寧に読み解きながら解説しています。
原典の考え方を大切にしつつ、現代の心のあり方や日常生活と照らし合わせ、その意味を考察しています。
ヨーガをポーズだけでなく、心の仕組みや生き方の智慧として理解することを目的に綴っています。
今回の記事も、その流れの中の一節についての考察です。
ヨーガ・スートラ第1章16節
『純粋意識を悟るために、3種の徳性に対し、ほんのわずかでも欲望を抱かなくなれば、それが最高の離欲の境地である』
解説
前回の投稿に引き続き”離欲”について解説します。
純粋意識を悟るために、3種の徳性に対し、ほんのわずかでも欲望を抱かなくなれば、それが最高の離欲の境地であると説かれています。
前の段階では、物や人、外側の対象への過度な期待や執着から距離を取り、心を自由にしていく離欲が示されていました。そして今回の教えでは、さらに深いレベルの離欲について語られています。
それは、外側のものだけではなく、自分の内側に生まれるごく微細な欲望や感情にも揺れなくなる状態のことです。
「もっと認められたい」「成長したい」「良い人でいたい」など、一見すると前向きに見える願望でさえ、思い通りにならないと心を揺らし、ストレスの原因になってしまうことがあります。
これらの内側の動きに振り回されず、静かに見極められる心こそが、深いレベルの離欲とされています。
パタンジャリは、物事や状況、人の在り方をそのまま認め、受け入れられる心の広さこそ、離欲が成熟している証だと説きます。ものや人との関係において、依存しすぎず、拒絶しすぎず、ほどよい距離感を保てているとき、私たちの心は静けさを失いません。過度な期待も、不必要な不安もなく、ありのままを見極められる心です。
さらにヨーガでは、完全な離欲(パラ・ヴァイラーギャ)は「自分の真実を知ること」から生まれるといいます。
私たちは、体や考えが変化していることに気づく“気づいている存在”です。変化するものを観ている側こそが、本当の自分の本質。外側の状況も、人の言動も、時間とともに変わっていくけれど、その変化を見ている“意識”そのものはずっと変わらず存在し続けています。
ものや人、状況など移り変わる世界の中にあっても、変わらない“意識としての自分”を理解できたとき、人は外側に振り回されなくなります。
誰かへの期待や評価、物へのこだわりに心を奪われることなく、軽やかに生きられる。
その気づきこそが、完全な離欲へとつながっていくとヨーガは説いています。
深い離欲とは、無関心でも無欲でもありません。
外側にも内側にもとらわれず、変わりゆく世界の中で変わらない本質に立ち返れる心。
その静けさに触れることが、ヨーガが示す大きな成長の段階だと感じます。焦らず、日々の気づきと手放しの実践を続けることで、少しずつこの深い静けさに近づいていけるのだと思います。
現代視点での解釈
ヨーガ・スートラ第16節では、より深い段階のヴァイラーギャ(離欲・見極め)について説かれています。
15節が「感覚的な欲望や結果への執着から距離を取ること」だったのに対し、16節ではさらに一歩進み、心そのものを縛っている根本的な欲求からも自由になる状態が語られます。
現代的に例えるなら、
「評価されたい」「認められたい」「安心したい」「成功している自分でありたい」
といった、表には見えにくいけれど人生の選択を大きく左右している欲求があります。
多くの場合、私たちはそれらを満たすことで幸せになれると思い、無意識に行動しています。
しかし、経験を重ねる中で、
評価されても不安が消えなかったり、
目標を達成しても満たされなかったりすることがあります。
そのとき初めて、
「外の条件が整っても、心は完全には満たされない」
と気づく瞬間が訪れます。
第16節が示しているヴァイラーギャとは、
こうした“心の奥にある期待そのもの”を見抜き、そこに頼らなくなることです。
何かを得たから安心するのではなく、
得られなくても自分は揺らがない、という感覚に近づいていきます。
これは、何も感じなくなる状態でも、人生に興味を失うことでもありません。
むしろ、外の状況に左右されすぎず、
落ち着いた視点で人生を選び取れるようになる心の成熟だといえます。
感想
なかなかこの完全なる見極めの境地にいくには自分を見つめていく必要がありますね〜
自分の感情が変わったりしている状況を客観視して楽しむことと、例えばバーゲンをしていてお得な情報に有頂天になり必死に手に入れたけれど思っていたものではなく一喜一憂するのとは違う。
どんな自分も客観視して受け入れ、人や物で自分を満たすことから離れれば少しずつ小さな苦悩から解放されていくということなのかなと思います。
また、自分を受け入れるって、いいところだけじゃなくて怠惰な自分や、ミスをしてしまう自分だったり受け入れがたいことさえも認めていくことになるからまたこれも修行であり、簡単にできることでもないなと感じますが笑
どんなときも観るものと観られるものの違いを意識して、ヨーガの智慧を日常に取り入れていこうと思います。
